クラシック名曲サウンドライブラリー
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ショパンは恋愛に纏わるエピソードが多い作曲家です。女性たちとの出会いと別れが、彼に創作のインスピレーションをもたらしています。その代表的なものが女流作家ジョルジュ・サンドとの関係でしたが、もうひとつ忘れてはならないものがあります。それはワルシャワ音楽院の同窓生で、声楽科のコンスタンチアへの思いです。コンスタンチアは美しい容姿と声で注目を集める存在でした。ショパンより3ヶ月遅れの生まれで、皇室離宮の管理者の娘だった彼女は、優秀な生徒として、合唱団の花形として輝いていました。
テレビ番組「タモリ倶楽部」には「空耳アワー」という名物コーナーがあります。ここでは主にロックやポップスを扱っていますが、クラシックのオペラ・アリアではおそらく唯一、年間優秀賞に選ばれた曲があります。それが19世紀前半のイタリア・ベルカント・オペラを代表する作曲家、ヴィンチェンツォ・ベッリーニの歌劇《ノルマ》のアリア「清らかな女神よ」です。クラシックには縁もなさそうな場に、中心的話題として登場するという事実が、このアリアの知名度や普遍性を物語っています。
意外にもチャイコフスキーには有名なピアノ曲があまりありません。ピアノ協奏曲第1番をのぞけばその数はかなり限られてきます。そうしたピアノ作品の中で特に知られるのが小曲集「四季」です。ペテルブルクの月刊誌「ヌウェリスト」の依頼により作曲されました。この曲集はロシアの四季をテーマに1年間に渡って掲載された、12ヶ月それぞれの月を表現したピアノ作品をまとめたもので、連載された1876年から10年後に12曲の作品集として出版されました。
1895年、ラヴェルが20歳の時に出版の事実上のデビュー作です。パリ音楽院在学中の習作的な作品で、若干の粗さはあるものの、すでにラヴェルらしさが随所に漂う作品番号1のピアノ曲です。3部形式の典型的なロココ風メヌエットの形をとりながら、そこに教会旋法や近代的な和声も取り入れた若き日の意欲作です。作曲に当たっては大変細やかな計算が施されています。
サン=サーンスを中心として近代フランス音楽の流れを眺めると、その全貌をわかりやすく把握することができます。サン=サーンスが生きた1835年から1921年という時代は、ロマン主義から印象派を経て現代音楽へと至る過渡期でした。そこに登場するベルリオーズ、ビゼー、フランク、フォーレ、ドビュッシーといった名だたるフランスの作曲家たちは、何らかの形でサン=サーンスと関わり、歴史を織り成しています。特に弟子のフォーレとは終生に渡って書簡のやり取りを続け、互いのよき理解者同士として交流を保ちました。
死が近づいたショパン晩年の作品です。3つのワルツOp.64はショパン生前の最後に出版されましたが、第6番「子犬のワルツ」と第7番はいずれもこの作品に含まれます。比較的難易度も低く、これを目当てにピアノを始める人も多くいます。ですがシンプルながら曲の持つ精神的な色合いは深く、さり気ない哀愁はショパンが最後に至った境地を感じさせます。サンドとの別れや病などの辛さも、音楽の中に純化されていくかのようです。左手はワルツを刻みながら、右手はマズルカを奏でているのが特徴で、その主題をはじめ全体にスラヴ的なムードが漂っています。(詳しい解説はブログにて)
ポロネーズやマズルカなどのポーランド民謡に基づく作品とは違い、バラードには舞踏的な定型のリズムというものはありません。元は14,15世紀の舞踏歌が発祥ですが、その後叙事詩がそう呼ばれ、独唱や合唱曲を経て、ショパンによって純粋な器楽曲に至りました。ですからバラードはショパンが自由に楽想を描けたジャンルです。表題にとらわれず絶対音楽を貫いた彼の持ち味が発揮されています。とはいえ全4曲が3拍子的な舞踏性を残しているのも面白いところです。(詳しくはサイトで)
「真夏の夜の夢」の原題は「A Midsummer Night's Dream」です。"Midsummer"は実際には真夏ではなく夏至のことを指しています。古くからヨーロッパには夏至が近づくと妖怪や妖精たちが現れ、人間にいたずらをするという伝説が信じられていました。シェイクスピアの戯曲「真夏の夜の夢」はこれがもとになっています。メンデルスゾーンは17歳の時、翻訳されたこの戯曲を姉と共に読み、ファンタジックな物語の世界に引き込まれそれを音楽にしました。
古典的気風とロマン派的情緒を持つフェリックス・メンデルスゾーン。当時押し寄せていたベルリオーズなどの濃厚な表現を避け、あえて古典的で均整の取れた音楽性を保ち続けた作曲家でした。名前のフェリックスには"幸福な児"という意味があります。その名の通り彼の人生は順風満帆なものでした。裕福な家庭に生まれ、早くから才能に恵まれ容姿も端麗。あのゲーテからの寵愛も受け、指揮者として作曲家として成功そのものの人生を送りました。
シューマンにピアノを教えたハイデルベルク大学のヴィーク教授は、娘クララとシューマンの恋仲を認めず、結婚にも猛反対しました。まだ無名の作曲家シューマンの将来に不安を感じていたのです。その頑迷さは強固で、ついにはシューマンが裁判を起こす程でした。そうした最中、シューマンはクララにこのような手紙を送っています。「この前、君に手紙を書いてから新しいものを一冊仕上げました。僕はこれを"クライスレリアーナ"と名付けるつもりです。この作品は君と、君への僕の想いが主役を果たす音楽です。これを君に捧げます。他の誰でもなく、君に。」
大作曲家と称される者は多々いますが、天まで突き抜けるほどの強烈なインスピレーションを感じさせる作曲家はそう多くありません。彼らの天才が創り出す奇跡の調べは、聴く者の魂を現世を越えた遥かな次元にまで引き上げてくれます。それは理論などでは説明できない、音楽や芸術の不思議です。シューベルトはたしかにそうした力を持った作曲家であると言えるでしょう。そしてそんな彼の最高傑作との声も少なくないのが晩年の傑作「ミサ曲第6番」です。
「詩的で宗教的な調べ」はフランス・ロマン派の詩人ラマルティーヌの、同名の詩集からタイトルがとられた10曲からなる作品集です。リストの代表作「前奏曲」もラマルティーヌの著作に触発されたもの。この二人の出会いはリストがパリのサロンを賑わしていた頃です。13歳で両親に連れられパリを訪れたリストは、ヴィルトゥオーゾとして名を上げ様々な芸術家たちと交流を持ちました。その中のひとりが詩人アルフォンス・ド・ラマルティーヌだったのです。
数多くの協奏曲を書き"協奏曲の父"の異名を持つヴィヴァルディ。生涯に残した650曲ほどの作品の内、450曲あまりが協奏曲です。ヴィヴァルディは音楽家である前に僧籍を持つ司祭でした。髪の毛が赤いことから当時"赤毛の司祭"と呼ばれていました。そんな彼が赴任したピエタという名の慈善修道院には、身寄りのない孤児を集めた付属の女子音楽学院がありました。この学院の生徒たちには優秀な演奏者も多く、ヴェネチアの音楽文化の中心となるほどでした。
若い頃のベートーヴェンはとても社交的な人間でした。自慢のピアノ即興演奏を披露しては貴族のサロンを賑わし、才気あふれる新進の音楽家としてウィーンでも持て囃されていたのです。その姿は時代の寵児ともいうべき花形スターそのものでした。そんなベートーヴェンを耳の病が襲い始めたのは、いよいよこれからという20代後半のことでした。人との交わりを楽しみ、あれだけ社交的だった男は徐々に人を避け、自らの病を悟られまいと孤独を愛する者に変貌していきました。
2回目のイタリア旅行から帰国後すぐに書かれた16歳の時の作品。K.136、K.137、K.138の3つのディヴェルティメントは、いずれもイタリアの開放感と明るさを感じさせる不朽の名作です。通常のディヴェルティメントとは楽器編成や楽章数が違うため、本来は交響曲にするつもりではなかったか?との見方もあります。ザルツブルクで作曲されたためザルツブルク・シンフォニーと呼ばれることも。ディヴェルティメントは「気晴らし」や「娯楽」を意味するイタリア語のdivertireに由来します。
一般的に協奏曲というとピアノやヴァイオリンなど固定の楽器と、それに対して伴奏的な管弦楽のかけ合いというイメージですが、ヴィヴァルディやバッハの時代にはソロをひとつに固定せず、管楽器も含めて次々と独奏が替わる合奏協奏曲が全盛でした。宮廷お抱えの専属楽団には腕利きの名手が多く、そうした奏者たちが自慢の技術を見せる場でもあったのです。ブランデンブルク協奏曲も原題を「種々の楽器のための協奏曲」といい、各曲ごとにソロを担う楽器が違う合奏協奏曲の一種です。
歌曲王シューベルトの数ある歌曲の中でも一際人気の高い曲です。名前が似ているシューバルトの詩に二十歳の彼が曲をつけました。"澄んだ川で鱒を眺めていると、釣り人が来て魚釣りを始めた。ところが川がきれい過ぎて魚はかかりそうにない。そこで釣り人は竿で水を濁らせ、ほどなく鱒を釣り上げた。逃げようともがく鱒。しかしどうにもならない。狡猾な釣り人に釣られた鱒を不憫に思いつつ、私はその光景を見ていた。"ここまでが歌曲に使われた三番で、本当は四番まで詩があります。
歌曲王シューベルトの数ある歌曲の中でも一際人気の高い曲です。名前が似ているシューバルトの詩に二十歳の彼が曲をつけました。"澄んだ川で鱒を眺めていると、釣り人が来て魚釣りを始めた。ところが川がきれい過ぎて魚はかかりそうにない。そこで釣り人は竿で水を濁らせ、ほどなく鱒を釣り上げた。逃げようともがく鱒。しかしどうにもならない。狡猾な釣り人に釣られた鱒を不憫に思いつつ、私はその光景を見ていた。"ここまでが歌曲に使われた三番で、本当は四番まで詩があります。
クラシックの歴史にはターニングポイントに立つ作曲家たちがいます。その作曲家の登場により、流れが大きく変わったと言える者たちです。バロック、古典派、ロマン派、現代音楽といった歴史の上で、彼らはその変化の過渡期に立ち、次への橋渡しをしてきました。モンテヴェルディもそうした大きな変革に関わった作曲家のひとりです。イタリアのクレモナに彼が生まれた1567年はルネッサンスの時代。大バッハがドイツに生まれる120年も前のことです。

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